"厄"は恐ろしい
こんばんは。
深夜だけど、こんばんは、牧野楠葉です。
私のこと、覚えてますか?
『フェイク広告の巨匠』(2021年)で、デビューした、兼業作家です。
このニュースレター、というコンテンツ、もう2年ぐらい更新していない。当時は、このコンテンツは、文筆業を行う者らが、自分の新刊や告知があるようなときに、結構送られてきたような気がする。
ただ、もう今は、ほとんど送られてこない。
というか、芸能人などではないのだから、自分の告知など、一体、誰の特になるんだろう、自分はただの一般人なのに。売文屋なのに、また宣伝? というのに、皆いつのまにか気づいたんだろう。
だから、私は、日記代わりに、このニュースレターをできる限り配信してみようと思う(日課的に)。お知らせがあればするし、ないならしない。ただの雑文だ。
このニュースレターを最後に送ったのが2023年。すごい。もうなんと2025年も終わりの月になり、2026年になるというではないか。
今日は近況報告に留める。
私は、2023年当初、まだ自分の会社を経営していた代表取締役であった。
自分の父も、起業家であったことと関係あるのかはわからないが、なぜかタイミングがそうさせたのか、私は当時働いていた広告代理店で”手に職”をつけ、見事5年間ほど1人で会社を存続させたのである。
当時企業したてのころ、まだ広告業界は潤っていた。何でも売れた。でも、一番、私が、業界内で、モノを売る理屈をわかっていたライターだった。だから、独立しても、仕事が勝手に入ってきたのだ。でもそんなものは過去の栄光だ。
当初の起業の目的はこうだ。「私の書く広告記事には高い値段がつく。需要がある。私は業界では有名ライターだ。だから、月2本ぐらい広告を書いて、その残りは小説を書く時間にあてよう」。ただ、私は、結局、仕事の売り上げに我ながら感心して、広告に没頭した。持病であった、双極性障害も大いに猛威を振るい、20代の私は(今は32歳である)、確実にどうかしていた。
元住んでいた下北沢付近の1Kを引き払ったり結婚したり離婚したりして、私は、新宿を拠点としはじめた。欲望の街である。私の当時の生活水準はあまりにも高かった。今では関心するほどだ。
ただ、30歳(前厄)、31歳(本厄)。私は一切”厄”など気にしないと思っていたが、なんと自分の会社は倒産し、私はそのあまりのショックもあって糖尿病ケトアシドーシスという疾患により、ICUに運ばれた。そしてこれはかなりどうでもいいが、自分の体重で(二年間で56kg→100kg※今は少しし痩せた)、変なベッドで適当に寝ていたらアバラにヒビが入った。重力が変なところにかかったんだろう。
そのまま、法人破産と、自己破産の話になり、弁護士と話すことが多くなった。そして、精神疾患の障害者年金を貰うことになった。そうして、地元の兵庫県の田舎に再婚した夫と住みはじめ、今に至るというわけである。
自分の、なにが、そんな原動力になっていたのか、今ではもう、わからない。
東京の、「超・消費社会」は、気楽だし、開放的だし、楽しい。だけど、命を削る。こんな言説も、ステレオタイプすぎて、わざわざ私が言うことでもないが。そこらへんの地域移住ブログなどのほうがよっぽどこの言説を雄弁に語るだろう。
私は5月に兵庫県に戻って以来、地方の暮らしを7か月間送っているが、今また広告の会社にありがたく拾われて、病気に理解のある感じで働けている。もう、広告記事を書くことしか、そして、小説を書くことしか、私には、できないのだ。
何が一番痛々しかったか。再婚した夫が、「もう、(兵庫に)帰ろう。療養しよう」と言ってくれたことである。私は、ケトアシドーシスで救急車で運ばれていたとき、意識は混濁していたが、必死に「私は入院している時間などないんです。仕事をしなければお金がないんです」と喚き散らしていたようなのだ。
もちろん夫は私の地元に縁もゆかりもない。なのに、「(私の地元の)兵庫で療養しよう」と言ってくれたのである。
私は、ずっと、実家から、遠くへ。遠くへ。行きたかった。とにかく、どこかへ。どこかへ、逃げたかった。
それがたまたま、新宿にすぎなかっただけだ。
仲の良くない実家の近くに今更戻るなんて。と思ったが、罪滅ぼしのようなのか、実父はお金を貸してくれたし、援助もしてくれた。ありがたい。私も30代になった。20代の頃のように、実家に対して敵意を剥き出しにしなかったし、復讐する気力もない。ただただ、ありがたかった。
ああ、キーボードを叩くのがしんどい。今日は、久々のド鬱で、リモートなのに、寝たきりで仕事を休んでいた。最近、ここまでの落ち込みはなかったのだけれど。このニュースレターで、なにを伝えたいのかも、睡眠薬でぐちゃぐちゃになってきた。…
私の読者がいてくれるとするならば。これだけは言いたい。
「今、私は、人生で一番、原稿を書いて、没頭している」、と。
仕事を始めたのが8月からで、そこからベッドから起きられるようになり、そこから小説もまた再び書くようになった。そして、9月の後半から、12月13日、本日までで、もう、500枚以上書いている。
おそらく、今書いているものは、わりと評価の高い『フェイク広告の巨匠』や、『宇多田ヒカルなら簡単に歌にできたようなもの』みたいな、私小説めいた感じのものではない。平凡な30代を送っている今、20代躁鬱が酷く、ジェットコースター人生から生まれる命のもろさ、そして輝き、みたいな小説はもう書けないのである。
ガッツリとプロットをガチガチに組んで色んな実験をしている途中だ。でも、それが、地道で、楽しい。
今も2作品ぐらい構想があって、常に映画やオーディブルや、少しずつしか読めないが本を買って、インプットしている。
療養生活は、うまくいっている。
20代のときは、っていうか今もそうだが、「朝起きるまで、自分の体調がどうなっているのかわからない、博打」みたいな感じだった。ずーっと調子がいい状態なんてないのである。だから障害者手帳や年金があるのだが。
でも今は、夫のおかげで、少しずつ、泥臭くもありながら、「未来」を見ることができるようになってきた。40代になったらもっと堕落しているのだろう、とか。尻もこのままダルダルに垂れてゆき。などという。
いい意味で、「オバサン化」したのだ。
だから、待っていてほしい。
私はまた、小説で、自分の新境地を開いてみせる。
それまで、まだ、「牧野楠葉」の読者で、いてほしい。
…もう2時だ。
さあ……私はこれで寝るとする。明日は、月に一度の精神科に行かねばなるまい。
おやすみなさい。読んでくれて、ありがとう。
牧野
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